【Blog】創造的な表現の5つのスタイル

昨日のPracticeのテキストは「True Perseption」(Chogyam Trungpa著)の18章「創造的な表現の5つのスタイル」。
5ブッダエナジーについての内容。
5ブッダエナジーは21年にDavidの特別ワークショップで初めて勉強して、その後一度再履修したきりですが、内容的にはとても興味深く面白いものです。
が、未だ「…で?」というのが正直なところ。
例えばAbhidaharma(仏教心理学)なら、練習を重ねて精密に見ることができるようになるとスカンダ(五蘊)の最初の辺りを見ることができるようになる、という風に自分の練習の先にあるもの、として認識できるのですが、5 Budda Enagyは「?」がなかなか外せない。

5 Budda Enagyとは、広がっている世界の「質」が5つのファミリー(エネルギー)に分類される、というもの。
この識別ができるように明晰さを養い、研ぎ澄ますことが必要。つまり、世界をどれだけ精密に見ることができるか、ということ。

私が「?」と感じたのは、最後の「あなたは一つのものを手にとって、それをヴァジラに、カルマに、パドマに、ラトナに、あるいはブッダにすることができるからです。あなたはそこから、あらゆる種類のタータンチェック柄を作ることができるのです。」の文章。
ま、そのうちまた感じ方が変わってくるだろうから、気長に練習しながら待つだけです。

先にも書いたとおり、内容的には非常に面白いです。

アートもこの5つの分類に分けられるのですが、確かにルーブル美術館で宗教画が集まった部屋に入った瞬間に感じたあの重く圧倒的なエネルギーにはラトナを感じるし、印象派の展覧会では軽やかな明るさ、パドマを感じる。そして水墨画が並んでいる展覧会ではブッダを、エッシャーの絵にはカルマを感じることができる。

例えば、初対面で一言二言言葉を交わしただけで「あ、この人苦手」とか「この人話しやすい」と感じることがあるけど、ブッダの入ったパドマ的な私はヴァジラやカルマが苦手だったりする、と考えるとなかなか面白いです。

そう、私は明晰で論理的なヴァジラやカルマが苦手だったりします。

でも今回のテキストで目をひいたのは「ヴァジラが水晶とつながっている」「カルマは剣と緑色に象徴されます」という文言。

私のRefuge Nameに「水晶(Crystal)」=ヴァジラ、「剣(Sword)」=カルマ、というワードが入っているのです。
ラリー先生がつけてくださった名前です。
もちろんラリー先生とはその時初対面でしたが、オンラインで2~3分お話ししただけで名前を考えてくださいました。
私から醸し出されるエネルギーだったのか、私に必要なエネルギーなのかはわかりませんが、現時点で苦手だなと感じるエネルギーが私の名前になっているのはなんとも不思議な感じです。
慈悲(Compassion)というワードも入っていて、これは私自身が常に胸に置いている言葉なので、やはり今後必要なエネルギーという意味かもしれません。

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